清水 翔 (しみず しょう)
KAKERU 会長兼コーチ
清水 玉和 (しみず たまかず)
[生年月日]
1954年1月15日
[出身地]
岡山県出身
[戦型]
右シェーク 裏・イボ (カットマン)
[経歴]
関西高等学校 卒業
倉敷化工(株)退職
[戦歴]
(興味のある方は読んで下さい)
2人の天才との出会い
一人目の天才『TabletennisKAKERUの基礎はここにある』
小学2年生の頃に、父親の影響で卓球を始めた。そして僕は、2年生の終わりに僕のルーツとなる 「岡山県安井クラブ」に入る。当時の安井クラブは毎日練習が基本で、僕の家から、山を一つ越えて
4キロから5キロはある道のりを、2年生から6年生までほぼ毎日、ランニングか自転車で通っていた。
基礎、基本を教えるのがとても上手な先生で、中でも球出しの技術は天才だった。岡山での僕の卓球人生を語る上で、安井先生は欠かせない、まさに天才!!そんな先生に出会えて教えてもらった僕は、知らず知らずのうちにしっかりとした卓球の土台が出来ていたのかもしれない。
この頃から卓球ノートを付けていた僕は、今でも当時のノートを見て指導に役立てている。
そして安井クラブの練習は、僕の心と体にしっかりと染みついている。
今から卓球を始める皆様!初心者の皆様!大きな土台を作りに来て下さい。
2人目の天才『TabletennisKAKERUの理論はここにある』
全国カデットに出場した時、明徳義塾のスカウトマンの目にとまり、中学から高知県明徳義塾に入学。そこで当時全国で1番厳しいと言われていた、仲村先生と出会う。
練習や指導はとにかく厳しかったが、この出会いが僕の卓球理論を大きく変えてくれるものだった。仲村先生は僕にとって卓球のバイブルであり、特に戦術や戦略に関しては唯一無二の存在、仲村先生の卓球に対する理論はまさに天才!!未だに僕は、仲村先生の卓球理論を超える人と出会ったことがない。僕が生きている間には仲村先生のような天才には出会わないだろうと思う。
仲村先生の理論は、当時中学生の僕には難しかったが、ノートだけはしっかり取っていた。この頃のノートの量が一番多い。難しいが故に、何度も書いて理解しようとしていたのかもしれない。仲村先生の卓球技術、理論は僕の頭の中に常にある。
上級者及び全国で活躍している皆様!これから全国で活躍したい皆様!
他には決してない理論、技術を体感しに来て下さい。